2016年2月4日木曜日

DJ気取りでニュースブラウズ

寛大な読者の皆さんのお許しを得て、少しばかりの寄り道をば。



2日、3日は老母の介護に忙殺されてパソコンに向かう時間が取れず今に至りました。

2月3日は節分でした。季節を分けるこの日らしく日中は暖かでしたが夕刻からは冷え込みました。いつものように夕食後寝込んでしまい、ところが目覚めたのが午前3時過ぎ、いつもより3~4時間寝すぎ(?)でしまいました。選挙期間中の疲れがここに来たかと思いましたが、気を取り直してまず朝刊を取りに外へ出て、次にこのところすっかりはまってしまった高濃度炭酸浴の風呂にゆったりとつかること20分、汗も少し出てボケた頭がゆっくり始動し始めました。

これもすっかり嵌まり込んだドリップコーヒーを5カップ分淹れて作文作業の準備完了、京都新聞の朝刊拾い読みから、この新聞に辿り着いてもうかれこれ20年になりますが、大新聞の寄り道をしてからなので、やはり京都・滋賀に住む人には優れた新聞だと思います。こんなことを書いたら廻し者かと思われそうですが、そう思われてもよいくらい◎です。

昨年暮れの朝日新聞の滋賀欄は「おおつ広報」かと揶揄されましたが、そのようなすり寄りもなく(と思っている)権力には批判の眼を保って(と思っている)、地域密着型の楽しみ満載(褒めすぎか)です。
気になる見出し、記事を列挙すると

北朝鮮ミサイル通告; 日教組の槙枝委員長や社会党の土井たか子委員長がご存命ならコメントを聞きたいところです

兆候なき虐待 阻止困難; なんだか5年前の悲劇と重なってしまいます

第二の人生暗転なぜ; 清原逮捕は話題沸騰、夜回り先生こと水谷先生の「早くつかまってよかったね、死なずに済んだ、今ならやり直せる」の優しいお言葉、もう少しにこやかな表情がほしいところだが

殺害容疑で交際の男逮捕; これは私がこのブログの「いじめ対策」総集編で書いた、「人間社会に千年王国が訪れようとも無くならない」類の悲劇です

届けSOS 野洲市の生活困窮者支援; 此のあたりが京都新聞の真骨頂、他紙の追随を許しません

中二男子、首つり自殺か; 悲劇は後を絶たない、仙台市教育委員会の所管事項です
スキー授業中広島小6死亡; 安全管理不十分か、広島県北広陵町教育委員会の所管事項です

「国際英語学部」京都橘大新設へ: いよいよ英語の「聞く 話す」時代の到来です、メディアの殺到が予想されるが、我が敬愛する「同志社大学名誉教授 渡辺武達先生」の「メディアリテラシーとデモクラシー論」が光ります
(ここで珈琲マグカップ二杯目に入ります、ついでにKENT 1 100s の悪癖も一服)

生活保護世帯が微減; アベノミクスのドリップ効果が出てきたのか、私のドリップ☕は2分で出てきます

子ども学習支援福祉と連携探る 県総合教育会議; これも他紙の追随を許さない記事、滋賀県教育委員会所管事項、見出しだけで本当に様々なことが想起されます、「子ども」と「子供」のどちらが適切か、「学ぶ力」と「学力」の違いはどこにあるのか、この問題は前大津市議会議員の園田先生が拘り続けておられるテーゼで、少し大げさに言えば55年体制の終焉を迎えた今、いまだに残る尻尾(青山繁晴氏みたいになってきました)なのです

ケアセンターおおつ民営化 18年4月開業困難 市が報告; 京都新聞 小川卓宏記者(大津市政記者クラブ所属)の取材力、筆力が光ります、詳しくは本紙を読んで下さい、市議会の奮闘ぶりが読み取れます、市民の多くがこのことまで目を光らせていたら先の市長選挙の結果は違っていたことでしょう

模擬投票で心の準備 新旭養護学校; 他紙の追随を許しません、高島市選挙管理委員会所管事項、「広がる有権者 18歳から選挙権」特集です、詳しくは本紙をお読み下さい

京都新聞2月4日の朝刊はざっとこんなもんです、たまりませんね。

肝心の「小学校の英語教育はどこへいったんかい、時間稼ぎもええ加減にせんかい」との怒声が聞こえてきそうですが、まあまあ落ち着いてください。あと数回で終わらせるつもりで、遅くも来週前半には完了していよいよ3月議会の実況中継の準備に取り掛かります。面白くなりますよ。
今日のところはこれぐらいでご勘弁を
寸心児




6 件のコメント:

  1. 新聞記事を取り上げるのであれば、各紙2月2日に次の記事がありました。


    中3「英検3級」7割届かず 文科省
    毎日新聞2016年2月3日 01時56分(最終更新 2月3日 01時56分)

     文部科学省は2日、全国の国公立の中学3年生と高校3年生を対象にした、英語の「読む」「聞く」「書く」「話す」の4技能に関する2015年度の調査結果を公表した。初めて調査した中3は、「書く」以外で国が卒業時の目標に掲げる「英検3級程度」に届かない層が約7〜8割を占めた。「書く」は英検3級程度が約4割と比較的高い一方、0点が1割強とばらつきが見られた。14年度に続き2回目の調査の高校生は4技能とも依然低水準だった。【三木陽介】

     現在の中学3年は、小学5年以上で「外国語活動」が必修となった現行制度の1期生になる。身近な話題の質疑応答ができる「英検3級程度」に届かないレベル(A1下位)の割合は、「読む」が73.9%▽「聞く」79.8%▽「話す」67.4%と高かった。「書く」はこのレベルが56.7%、「英検3級程度」(A1上位)が43.1%と他の技能とは違う傾向が見られたが、「0点」も12.6%に上り、ばらつきが目立った。



    小学校の英語教育についていくらでも書ける話題です。
    英検3級という目標設定が適切なのか。そもそも目安が英検でいいのか?小5からスタートしてきた1期生目でも英検3級が難しかったのはなぜか?どこがよくなかったのか?小1まで前倒しの大津市には実力アップの期待大か?「聞く」・「話す」ができないことを問題視するけれど、できないからといって何か実害はあるのか?東大受験の英語問題で大津市のALTは満点取れるのか?授業でやっているかぎりはどこまでいっても科目であり勉強であり、それが本当はいちばんよくないのではないか?

    こちらを取り上げないのは、富田氏の本音が小学校の英語教育に無関心だからでしょう。

    返信削除
  2. 時宜を得たコメントありがとうございました。最後の一行だけはちょっとちがっっているように思いましたが。関心はとても高いものがありますので悪しからず。

    あと2~3回で書き終える予定の項目だけ列挙しておきます。同志社大学名誉教授 渡辺武達先生のご著書「Japalish グローバル化と英語革命 ジャパリッシュのすすめ」で論述されているアイテムですが

    1.これからの日本人の英語
    2.言語は進化し、分化する
    3.ジャパリッシュの提言
    4.英語教育の原理
    5.現代英語教育批判

    これらをベースとさせていただいて、私の拙い中学校、高等学校。、大学、会社、カリフォルニアでの4年間の暮らしの中での英語・米語の変容をレビューしながら、大津の子供たちの英語教育のあるべき姿を探りたいと考えています。

    グローバル化と地域性は切っても切れない関係ですし、特に気になっている小学校教員の英語(指導)力をどう高めるのかという大きな課題、これは教員養成課程や教員免許資格制度にもさかのぼらないといけない問題でしょう。

    文部科学大臣でもない一市民の私ごときが論じることではないかもしれませんが、市民感覚も大切なことではあるでしょうね。

    寸心児

    返信削除
  3. 本日の朝日の朝刊をみました。会見での大津市長の発言…。
    どうして彼女は、課題を自己の問題として捉えないのでしょうか?
    どうして自分にかえらないのでしょうか? 自己反省しないのでしょうか?
    やっぱり・・と思いましたが、先の選挙を通して彼女が学んだことは
    何もなかったのでしょうか? とても残念です。

    返信削除
  4. お早うございます、今週は老母の看護、介護でそちらにやや時間的な負荷がかかっていますが、私も京都新聞で件の記事を読みました。

    大津市長選中の越氏批判 「根底に女性差別」との見出しで50、60代男性が権力や権限をもち、そういった層の一部に「女性は言うことを聞くものだ」とか、「年下の女性に何か言われると腹が立つ」という意識が、無意識にあるのではないか、と感想を述べた。

    また「女性活躍」などの政策を進める上で、「男性の根底にある無意識の差別意識」が課題になるとの認識も示し、「女性が男性に、あるいは若い人が年上のの人にこびを売らないとたたかれる社会を変えていかないといけない」と持論を展開した。

    との記事でした。

    私もこの記事を見て、「へえ~、そんなな風に思ってはったのか、越さんの周りにはそんなおっさん、じいちゃんが今もたくさんいるのか」と改めてため息をつきました。

    確かに何十年も前に、私が社会に出て仕事に就いた40数年前に、居酒屋でそんなようなことを酔っぱらってくだ巻いていた人を見たことがあります。まあ何百人に一人ぐらいは前世期の化石のようなおっさんがいたことは事実でしょう。

    それをこともあろうに今回の市長選挙中の越市長にたいする様々な批判の根底に、そのような意識があるなどと考えていたならば、「ああやっぱりそのようにしか考えられないお方だったのか」と情けないというよりは、「批判してきたその内容の正確さ」を確信しました。

    昨日はこの記事を見た何人かの女性から電話がありました。異口同音に「女性から見てもおかし過ぎる」との感想でした。

    「聞く耳を「持てない」」のはこのような男性観が無意識(意識の根底に)に備わっているからでしょうか。

    何となく、昔私が学生時代のころにピンクのヘルメットをかぶって会社に突撃していた数人の女性が
    いたことを思い出しました。すぐに社会の表舞台からは消えていきましたが。

    越直美さんの意識の中では、彼女たちの地下水脈が続いているのかなあ。

    返信削除
  5. コシキラー3号と申します。
    選挙結果分析を報じた毎日新聞によりますと

    ---支持政党別では、自民35%▽支持政党はない32%▽民主14%▽共産6%−−など。このうち無党派層の投票先を見ると、越さんが46%、蔦田さんが29%、川本さん15%、川内さん10%。蔦田さんを実質的に支援した自民の支持層では、蔦田さんが63%だったが、越さんも26%いた。逆に越さんを支援した民主の支持層では、越さんの73%に対し、蔦田さんは15%にとどまった。

    性別で見ると、男性からの支持を最も集めたのは越さんで44%、女性は蔦田さんで41%。年代別では、越さんが20代と60代、蔦田さんが50代の有権者で比較的優勢だった。

     投票で最も重視したことを聞く設問では、実績・経歴27%、公約26%、人柄23%。越さんを選んだ人では実績・経歴、蔦田さんでは公約、川本さんでは人柄、川内さんでは公約を挙げた人がそれぞれ最多だった。

     一方、前回選で越さんに投票した人で、今回も越さんを選んだのは56%。27%が今回、蔦田さんに「流出」する結果となった。---

    と書いてあります。

    このような選ばれ方のいったいどこに不満があるのでしょうか。
    無党派層と男性票で圧勝し、自民票の4分の1を奪い、大物代議士のおかげで民主党と連合には助けられ、実績と経歴を買われて再選。実力以上の勝ち方やないですか?
    50歳代男性の票の入れ方はなってないと、まだ不満を言うのか。
    50歳代の票が蔦田候補に流れています。男女比を言う前に、50歳代へのアピールが弱かったといえます。その蔦田さんだって越さんと同じ女性です。本当は男だなんて話、聞いたことがない。それに、50歳代全体の越支持率が低かったのですから、女性票だってそれなりに少なくないと理屈に合いません。男だけをことさら取り上げるのは、言いがかりに等しい。要するに、彼女が敵対視したい年齢層だということですよ。
    50歳の男性諸君、越直美支持をやめましょう。向こうが好き放題に敵視してくるんだったら、こっちも思い切り敵対してやろうじゃありませんか。

    で、富田さん、ここしばらくの記事も、今回のコメントも、コシキラー度がまったく足りません。もっとグレードアップしてくださいよ。

    返信削除
  6. お早うございます。コメントありがとうございます。選挙結果の分析は京都新聞以外は見ておりませんでしたので大変参考になりました。

    もう一つ見たのは選挙結果ではありませんが、産経新聞電子版で「ミニ橋下」で検索するとすぐにヒットして、越直美市長が再選出馬を決意するに至った事情が書かれていますのでまだの方は一読をお勧めします。

    越直美市長が心情的に橋下(前)市長にアプローチしたいと思われていたことは、私の記憶では橋下前市長が選んだ大阪市の前教育長(ハラスメント問題ですでに辞任している)が登場した時にすぐに面会に行かれ、おそらくは大津市教育委員会の改造の手がかりを掴もうとされていたと推測しますが、真正面から「教育委員会不要論」や「学校・教員は信用できない論」の具体的な進め方を模索されていたのではないか。

    ほぼ全部のマスメディアや少なくない教育評論家、あるいは一部の市民から圧倒的な喝采を浴びて、その路線への自信を深められた。

    これも記憶によればその少しあとぐらいに「BSフジ」のプライムニュース(反町隆氏司会)に「尾木ママ」と出演して、当時の下村文科大臣の前で持論を展開し、「尾木ママ」もこれを全面的に支持・同調していた光景を思い出します。「尾木ママ」のあの何とも得体のしれない薄ら笑いはいつも気分が悪くなる一人ですが。

    ここ数か月の間に、多くのマスメディアの記者と話す機会があり、特に「大津市政記者クラブ」の記者とはほとんど個別に話しましたが、当時の各紙の論調はなぜ異口同音に「学校・教育委員会バッシング」のみに走ったのか、なぜいじめ事件の本質、即ち「なぜいじめ、いじめられ」が起こったのかについての議論が少なくとも紙面では一切なかったことについての私の質問に対して、これも異口同音に「それを語ることはタブーであった」とのことでした。

    万一再びあってはならないようなことが起こったとしたら、その時は取材、報道姿勢を改めてほしいと申しましたが、答えははっきりしませんでした。

    これはマスメディアに限らず、日本社会が抱える一種の病理であると考えていますが、このことに風穴をあけて、ことの本質に迫るような解明がなされない限り、残念ながら悲劇は後を絶ちません。

    以前、このブログで述べた「村田教育哲学」や「心に太陽を、唇に歌を」のような原点にさかのぼった議論や実践なくしては「学校・教育委員会バッシング」で済まされるようなものではまったくないと確信しています。

    返信削除