2016年2月1日月曜日

小学校の英語教育③

英語教育を考える上で、まず避けて通れないのが自分自身がどのような英語体験をしてきたかをレビューすることであろう。

これを抜きにした一般論はリアリティーがない。少なくとも英語一般ではなく「英語教育」を考えてゆくわけだから、どのような英語教育を受け、どんな困難にぶつかり、その結果どのような英語の使い手になったのか、ならなかったのかを振り返る必要がある。市長と比べるのも僭越であろうが、越直美市長もご自身の米国での英語体験が大津の子供たちへの英語教育の必要性を痛感したきっかけであると語っておられる。

まず英語の入り口であるアルファベットであるが、僕らの時代は小学校4年生で習った。大文字も小文字も習ったし行書体に始まって筆記体も教わった。文字の大きさを覚えるために線を引いた、なんだか5線譜のようなノートに書いた記憶がある。特に筆記体で“a”から“z”まで続けて書いたときは、何となくこれが英語なのかなと妙な感動を覚えて自慢したいような気持になった。
次に教わったのが「ローマ字」である。50音を母音と子音の組み合わせによって音を表すこの表記法は、ウィキペディアによると戦国時代に日本に渡来したイエズス会の宣教師によってもたらされたのが起源とされ、その後様々に洗練されて現在の表記法に至ったとされている。今にして思えばアルファベットと日本語の発音の見事な融合というほかはない。

現に英語の単語のスペルと単語の発音をローマ字表記した時には、(中学校で英語の単語を学んだあとでは)ある種の(変換の)共通性があることに気付いて、慣れてくると単語の発音を聞くとローマ字表記のアルファベットの語列から正しいスペルが類推できることは、多くの人が経験していることであろう。これはローマ字という表記法をもつ日本人独特のメリットではなかろうか。

というわけで小学校4年生の時の担任の先生は僕たちに、ローマ字で日記を書くことを勧めてくださった。僕はこれにとても興味を感じて毎日ローマ字で日記を書いて、翌日先生に提出しては赤ペンを入れてもらうことを続けた。こうしてローマ字による日本語表記を確かなものにした。
これは今日のキーボドによるローマ字入力に直結しており、英語力とは直接的な関係はないが大いに役立っている。

以下 次回に続く







0 件のコメント:

コメントを投稿