2016年2月10日水曜日

小学校の英語教育⑤

今日は老母の介護から解放されて、やっとまとまった時間が取れます。



小学校、中学校での英語体験をきわめて簡単に書き綴ってきたが、そうそう中学校では「英語クラブ」なるものに入って、これは年に一二度の発表会で英語劇を演じるその直前の幾日かを、にわか仕立てで練習するようなものであったから大したものではなかったが、「やらぬよりまし」程度のものであった。

高等学校での英語の授業は一年生から大学受験対策一色であったような気がする。基本は「英文読解」と「英作文」、まさに「読む」と「書く」である。その英文読解も「長文読解」となって、夏休みの宿題には英語の薄い小説を一冊買わされて、休み明けにはその小説一冊から出題されるテストがあった。曲者に中には、すでにその小説の邦訳本があるのを目敏く発見してそれを買い込んで楽をしていた者もいた。

よくできる生徒には、長文を速読する力はついたと思う。まさに当時の大学入試が求めていたもので、そうでもしなければ少なくとも英語の及第点は取れなかった。

もう一つ大きな問題があった。「単語力・語彙力」である。大学入試に通るには4千語とも6千語とも言われる単語を覚えこむ必要があるとされた。同級生のツワモノは「辞書で単語を引いたら、必ずその前後の単語も覚える」ことを実践し、見事にトーキョー大学に現役合格した。

このように日本の英語教育は明治以来「読む」「書く」を基本になされてきたと言ってよいであろう。しかし勿論いくつかの例外も存在する。

寸心児



2 件のコメント:

  1. 昨日から本日にかけて比較的時間が取れましたので、「小学校の英語教育」は⑥から⑧まで書き上げて一応校了しました。今から4日間ほど居住地を離れますので、アップは14日か15日になることをお許しください。

    昨日も書きましたが、ぜひ小学校の先生が自分が英語を教えることの意味や、中学校の英語の先生が英語教育で感じておられること、特に今はやりの「「聞く」「話す」についてどのように取り組み、感じておられるのかなどについて、ご意見をお寄せいただければあり難いです。

    京都府教育委員会は中学校の英語教員にTOEIC730点以上の得点目標を科すと報じられています。いかがでしょうか。

    寸心児

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  2. 中学校教員OBです。精力的に発信されていることに敬意を払います。この頃の青少年を見ていて昔とだいぶん変わってきたなと思うことは、発表力が向上しているように思います。これは、TVなどの影響もあるし、いわゆる総合的学習の効果でもあったのではないかと思っています。かつての英語の先生には、AETが来ても、会話ができなかった人も多かったのが、今では、そんな人は英語の教師はできないでしょう。コミュニケーション能力やその一部である英語力に対しての社会の要請は高まっています。教育にもPDCAの観点が必要と思いますが、コストは別にしても、求めるQは何なのか。人格、品性、ではあいまい。今を生きる力(よく人生を終える力)、向上心(競争力)、民主的であること(自己主張力)、問題解決能力(責任転嫁能力)、社会順応性(批判精神)と茶化しながら、いろいろあげましたが、それぞれ矛盾するし、それらを測定することもむずかしい。基本的に教育はPDCAにそぐわないと考えます。現場での具体例としては、教科の授業で、T・T(ティームティーチング)の導入の時に、「効果をデータで示せ」となると、むずかしい。40人授業と20人授業で成績の差を見るわけにいかない。サブTの補助をつけると成績が上がるかデータ化できない。生徒や保護者の声やアンケート結果が評価になる。そういう意味では「分かりやすい」授業:P
    に対してのAが「質問しやすい・・問題によく当てられる・・」授業となったわけです。諸外国並みに一度に少人数学級にできるわけではないので、部分的に、T・Tから始まったということです。
    公教育での英語教育についてもPが大切と考えます。ITの導入と共通点があると思います。それは
    「格差を拡大をさせない」の観点です。PCやタブレットの普及率は親の収入と関係があるでしょう。幼児に対しての英語教育も、広がってきているように思います。小学校で、簡単なコミュニケーションを学んだり、ネイティブの先生に触れることによって、国際化の一歩になるのはよいことと考えます。もちろんこれは総論であって、時間数や、内容、人員、お金など、優先順位をどう考えるかの問題であり、結局は保護者(有権者)に情報を公開して、決めてもらわないといけないのでしょう。

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