2016年1月4日月曜日

朝の読書と英語教育はもちろん共存できる(その2) 朝の読書を真正面に据えて

 私が教育長の職を辞してから、教育委員会や事務局でこの「朝の読書」の大津市立の学校における位置づけについて、どのように継続的に検討されているのかはよくわからない。つまり「朝の読書」についてのPDCAをどのように回そうとしているのかよくわからない。推察するに、何も考えていないのではないかと思われる節はある。議事録に「朝の読書」のことが出ていたことは一度もない。

 そもそも教育委員や教育長は真剣に「朝の読書」を勉強しているのだろうか。私は、およそ教育行政において教育委員会や教育長は「万機公論に決すべし」の姿勢を堅持しながら、「意志的」でなければならないと思っているのだが、そのような「におい」は残念ながら伝わって来ない。極言すれば大津の子供たちは「朝の読書」について、教育委員会や教育長から見放されているのではないかと危惧している。私には教育委員や教育長の、大津の子供に対する「このように育ってほしい」という愛情、慈愛が感じられない。

 私は自分が主導的に進めてきたこの事業を手前みそで言っているのではない。「朝の読書」の教育的効用の大きさ、深さを確信しているからこそ心配で、残念なのである。平成25年4月に校長会で導入を訴え、学校によってはかなりの抵抗があったはずだが、とにもかくにも「朝の読書」の標準形に近い姿でほとんど すべての学校でスタートすることができた。大津市にとってはまさに画期的なことであった。

 そのようにして船出した「朝の読書」であるが、その後船頭を失くしてしまっていないだろうか。現在の大津市教育委員会の教育委員の中には「教育委員会は基本的な理念や方針を示し、あとは事務局で具体化すべきである」という、一見もっともらしいことを嘯く委員がいるがとんでもないことである。

 確かにそうだろう、5人の教育委員で教育政策の細部にまでわたって検討、立案することなど不可能である。では教育委員の役割とはどうあるべきなのか。それはまさにPDCAの要になるということだと私は常々考えてきた。つまり「朝の読書」の細部にわたっての実施方法は教育委員会事務局や各学校に任せて進めるべきであるが、計画通り進まない時とか、予算上の障壁にぶつかった時とか、全国の「朝の読書」の経験を大津市の学校にフィードバックすることとか、極端に立ち遅れている学校が出てきたときなどはまさに教育委員会の出番なのである。

 ちょうど重篤な事件が学校で起こりそうなとき、起こった時などに直接介入する必要があるのと同じことである。そのためには各学校で取り組まれているこの活動を常に高い関心をもって注目し続けることが肝要である。けっして「教科ではないから」とか「こどもの評価の対象ではないから」などとして軽視・無視してはいけない。無関心ほどひどい対応はない。大津の子供にもっと愛情を注いでほしい。

 来る1月16日に大津市で「朝の読書全国縦断滋賀県実践交流会」が開催されると聞いた。桶谷教育委員長も出席されるそうである。大変ありがたいことであるし、その中で大津市立逢坂小学校の阪田有美子校長先生が実践報告をされるそうである。素晴らしいことで、私も前大津市会議員であられる園田さんのご紹介で、出席して聞かせていただこうと思っている。

 ここで「朝の読書」のおさらいをしておきたい。その基本の「き」は

毎朝、ホームルームや授業の始まる前の10分間、生徒と先生がそれぞれに、自分の好きな本を黙って読む。毎日やる、みんなでやる、好きな本でよい、ただ読むだけ。

 たったこれだけのことなのです。わずかな時間でも、毎日続けることで読書が好きになり、豊かな心と人格の形成が育まれていきます。(ここから急に”ですます調”になってしまいますが)

 「朝の読書」は授業として指導しない、評価をしない、評価をしない自由読書が基本です。評価や競争が発生すれば「読書」が子供たちに負担となり、形骸化する恐れもありますので、熟慮が必要です。
この「朝の読書」をはじめて7~8か月経った2013年12月頃に、翌年度の予算策定・編成作業の中で私は教育委員会として越市長に確か700万円ほどの巡回移動図書館に使うための、中古の巡回図書館バスを予算要求しましたが、一顧だにされず「駄目ですね」の一言であっさりと退けられました。全く箸にも棒にもかからない、けんもほろろとはこのことをいうのでしょう。

 実はこの時に、越市長は教育委員会事務局の英語担当の指導主事の職員を使って2億5千万円の英語教育導入に向けての予算案作りに奔走していたのです。私は学校現場から「学校図書館の本を子供たちは読みつくしたので、新しい本がほしい」との訴えを受けていたのです。

 学校現場から「英語教育の早期導入」を求められていたことは一切なかったと思います。いかにマニフェストで約束したこととはいえ、「民意」を得てなった市長とはいえ、高々全有権者の18%弱程度の支持を得たに過ぎない市長が「私が民意」などとは、おこがましいにもほどがあります。

 大津市民はすべてを白紙委任したわけではありません。もっともっと謙虚になって市民や職員の声に耳を傾けるべきではないでしょうか。ここでも越市長の「聞く耳をもたない」ではなく「聞く耳をもてない」実像が面目躍如でした。


写真は、我が家の愛犬マック(柴犬)。初詣風景。




8 件のコメント:

  1. 大津市議会の会議録検索システムで「朝」「読書」のキーワードを別々に入れて、「すべて」→本会議、委員会も含めて、発言者を特定せずに26年1月~27年12月の期間で検索したら、ヒットしますよ。
    どうやら朝の読書はやっているのでは?

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  2. 現場では、続けていらっしゃいますよ。全部ではないかもしれませんが、孫たちは、朝10分間自由に読書をしていると言っています。ただ、小学校で読み聞かせボランティアをしてきたお母さんたちの話だと、時間がどんどん減って、なかなかいい本を紹介する時間がないと聞いています。子どもと接する現場は、今子どもたちに何が必要か、考えて頑張っていらっしゃるのではないでしょうか?
    九州の小郡図書館では、(指定管理から直営に戻った図書館)春の読書週間には食育・男女共同参画事業・読書教育・・行政の横のつながりで(館長がつなぎ役)絵本に出てくるお料理を給食メニューで栄養士さんが考え、給食時には校長・市長・教育長・PTA会長などが教室であるいはテレビを通して読み聞かせをする。といった事業をされていました。できることなら、子どもたちを暖かく見守り育てる大人が増える環境が大津にももっともっとほしいものです。

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  3. そうですね、大津市でも保護者の皆さんのご協力を得て「読み聞かせ」の活動をしていただいています。これに市長さんや教育長さん、校長先生も加わっていただくと「鬼に金棒」で子供たちに優しく語りかけていただくことで、「私たち大人は君たちをしっかり見守っているよ」との力強いメッセージになることでしょうね。こうしていろいろな人々から愛情をたっぷり注がれて育った子供たちは、いじめたり、いじめられたりしない、心の優しい強い子に育っていくに違いありません。

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  4. 聞く耳を持てない理由とは何なのでしょうか?特殊な信条を持っているのでしょうか?何らかの機能の不全があるのでしょうか?どっちにせよ聞けないとしたらリーダーとして失格ですね。

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  5. 元々、大津市の小中学校では朝読書に計画的に取り組んでいました。そして、程度の差はあるにせよ、今も続けています。本文でも述べられているとおり、学校図書館の蔵書数は少なく、文科省の定める標準冊数を満たしている学校の割合は全国的にも低位にいます。市立図書館は学校園への団体貸出を積極的に行っていますが、越市長になってから職員も減らされ、現員では限界だと思います。大津市子ども読書活動推進計画を見ると、大津市の子どもの1か月の平均読書冊数が出ていますが、これも全国平均からは低い数字です。
    学校図書館のもうひとつの課題は司書です。学校図書館司書は先生が兼任しているので、司書業務に専念などできるわけもなく、学校図書館が子どもにとって使い勝手の良いものにはなかなかなりません。読書に力を入れている市では専任の司書を置き、図書の選定、図書室のレイアウト、図書の紹介など、子どもが読書に親しめるよう工夫をしています。大津市でも以前、臨時職員で何校か巡回形式で配置され、その学校での読書数は格段に増加しましたが、平成26年度では予算化されていません。今年度はどうだったのでしょうか?読書活動の効用については言うまでもありません。

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  6. いや、富田氏、朝の読書を放り出したのはあなたです。なぜ1年で辞任したのですか。なぜ朝の読書のために教育長にしがみつかなかったんですか。まずそこを述べてください。

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  7. なぜ教育長職にしがみつかなかったのか、その理由を述べよとのことですので、よくぞ聞いて下さったと感謝しつつできるだけ正確に述べようと思います。私が越市長の「異常さ」に気づいたのは就任したその日でした。それはこのブログにも掲載した通り、就任したその日に目の前で起こったハプニングに遭遇した瞬間からでした。本当のことを言えば、就任前に気づくべきだったのですが、残念ながら就任前に極めて冷静沈着雄弁に大津市教育委員会および事務局の当時の現状や、その改革の必要性を説かれる姿からはとても「異常さ」は読み取れませんでした。今にして思えば「不覚の至り」ですが、その時はこの市長とともに、「わが街大津の陥っている教育界の苦境から脱出して再生するのを手助けしたい」との一心でした。就任して間もない頃に、ある事務局幹部の方から「実はどんな教育長がくるのかびくびくしていた」と述懐されたときに、やはりそうだったのかとの思いを強くしたのを覚えています。つまりこの幹部の方は当然ながら市長の「異常さ」には先刻気づいていて、その市長の推薦で就任する教育長だから、きっと越2号のような「異常の2乗」のような教育長が来るのではとの思いでびくびくしていたと言ううのです。幸いそうではなくて、私が極めて常識的な人間であると知って安心したと言ってくれました。
    このコメントの投稿子の方は「では何がどう異常なのだ」とお訊ねになりたいかもしれませんが、それは私がここでアップしている諸事実から推し量ってください。なにしろ市長選挙前夜のきわめてナーバスな時期ですからね。
    結論を急ぎますと、私の心と体は、市長のこの「異常さ」に対抗して勝ち抜いていくほど強靭ではなく鋼鉄製ではなかったので、それでもなんとか13ケ月間しがみつきましたが、たまたま体調もよくなかったせいもあって、辞職しました。これ以上何を言っても「聞く耳をもてない市長」の下では共犯者にさせられてしまうとの思いもありました。
    くれぐれも誤解のないように申し添えますが、今も市役所内で涙ぐましい努力を振り絞って市長の「異常さ」と「横暴さ」と格闘を続けている大多数の職員、幹部がいます。皆さん必死の思いで工夫を凝らし、わが大津市のために戦い続けています。何としてもこんどの市長選挙では市民の皆さんが正しい審判を下して下さることを切に願っています。
    最後にもう一言付け加えさせて下さい。わが街大津市もたしか2元代表制だったはずですね。市議会は越市長にどのように対処してきたでしょうか、そして誰の目にも明らかな異常な人事や配置転換にどう対処してきたでしょうか。はっきり申し上げて、市民の代表ならば、もうちょっとしっかりして「異常」な市長を糺して欲しかった。市長選挙の結果を待たないと動けないくらいならそんな市議会は単なる「隠れ蓑」ではありませんか。

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  8. 議員さんの反論があれば、聞きたいものです。
    議員数では他市に引けを取らないものの、最大会派17名が意識を変えない限りは難しいかも。

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