2016年1月6日水曜日

特別総集編  ここに私たちが取り組まねばならない魂のエッセンスがある




写真はあの「国家の品格」の著作でその名を一挙に高められた数学者 藤原正彦氏が2007年(平成19年)に出版された「未来に生きる君たちへ 心に太陽を 唇に歌を」という本のカバーです。帯には「君は卑怯者になるな!」と書かれています。

先にこのブログで紹介させていただいた村田昇先生の教育思想と全く軌を一にする、今日のいじめ問題を考える上では珠玉の名品とも呼ぶべき一冊です。

出版当時、県立高校の校長を務めていた私自身が感動し、思わず定価1200円のこの本を浜大津の紀国屋書店で10冊も買い占めて知人の子育て中の人たちにお配りした、思い出深い一冊です。勤務校のロングホームルームでは担任の先生にお願いして時間を少しわけていただいて、可愛い高校生たち、いじめに走りそうな生徒たちの前でエッセンスを校長自ら読み聞かせたという思い出の本です。今も手元に一冊だけ残してあります。

「これでいいのか大津市のいじめ対策」の特別章として、最後にこの本のエッセンスと思える個所を抜粋して皆さまに紹介し、その意味する深い所を共有して今後の糧としたいと思います。


同書27ページから引用
もう一つは父の影響である。父は「弱いものを救うためには力を用いてよい」と日ごろから言っていた。弱いものをいじめるのは論外だが、いじめられているのを傍観することさえ卑怯と決めつけ、「身を呈してでも救出せよ」と私に命じた。力を用いることを否定しない父が、卑怯とみなし厳禁したことが五つあった。
大勢で一人を殴ること、大きなものが小さなものを殴ること、男が女を殴ること、武器を用いること、相手が謝ったり泣いてもなお殴ること
の五つだった。これら五つの禁じ手は、犯すことはもちろん、それを目撃したら絶対に見逃してはいけない、と教えられた。卑怯だから、という以外に理由は述べなかった。
当時、卑怯の感覚はまだ日本人に強く残っていて、卑怯の烙印を押されることは、人間失格とほとんど同格だったのである。

同署54ページ(あとがき)から引用
私の子供の頃もいじめはありました。恐らく人類が発生した時からいじめはあったし、これからも永遠にあるものと思います。ただし私の子供の頃まで、いじめによる自殺などというものはありませんでした。生命の尊さを皆がわきまえていたからではありません。戦前、生命などは吹けば飛ぶようなものでしたが、いじめで自殺する子供はいませんでした。
いじめがあっても自殺に追い込むまでには発展しなかったのです。卑怯を憎む心があったからです。大勢で一人をいじめたり、六年生が一年生を殴ったり、男の子が女の子に手を上げる、などということはたとえあっても怒りにかられたその場限りのものでした。ねちねち続ける者に対しては必ず「もうそれぐらいでいいじゃないか」の声が上がったからです。
それに加えて、弱い者や貧しい者に対する涙もありました。日本は昔からずっと貧しい国でした。山が多いため田畑は狭く、そのうえ台風、地震、洪水、日照り、冷害などの自然災害がしばしば各地を襲ったからです。貧しいため生まれてきた弟や妹が医者にかかれずあっという間に死んだり、学校に行きたくても農作業を手伝わなくてはならなかったり、という光景はどこでも見られました。
小さな島国の日本では、もっと暮らしやすい土地に移住しようというわけにはいきません。何千年もの間、皆で助け合い、励まし合って生きるしか他になかったのです。ここから弱い者や貧しい者への涙というものがもっとも大切なものとなってきました。
私の子供の頃まで、弱い者や貧しい者への涙に欠けていたり卑怯に走るような人間は、生きる資格すらないと思われていました。このような考えは世界に誇れる日本の心でした。これが今、外国はもちろん、日本でも失われつつあります。君たちの祖父母や親が取り戻せなかったその心を君たちが取り戻すのです。そして殺伐とした日本をうるおいのある日本に変え、またその心を世界に伝え、うるおいのある世界に変えるのです。それが勇気ある君たちの役目ではないかと思います。
               
抜粋は以上であるがここには、かつては家庭や地域に根差した日本固有の共同体や文化的風土によって、子供たちが育まれてきた歴史的経緯が述べられている。かつてなどという遠い昔のことではなく、つい最近までつまり戦後の日本が高度経済成長期を迎えるまでは、つまり農業人口が少なくとも日本の人口の少なくとも半数以上を占めていた時代までは、このような学校以外のところでの子供たちに対する教育的機能が健全に作用していたのだ。

*これ以降、文末まで、正確な事実関係把握不足のまま書き記した内容です。【市長はその教育委員の発言を制して「家庭の“か”の字も言ってはいけない」と述べられたそうである。】が間違いでした。私の軽率さによって読者の方々の混乱を招きましたこと、また、関係各位にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。正確な事実関係、およびそれに基づいて書き直した文面を次の記事に掲載しなおしております。次の記事へはここをクリック

私が教育長に就任した直後に、ある教育委員さんからいじめ問題に対する越直美市長の認識についての象徴的な発言を知らされた。それはいじめ問題の全体についてであるが、市長はその教育委員の発言を制して「家庭の“か”の字も言ってはいけない」と述べられたそうである。

私には俄かには信じがたい発言であった。本当に越直美市長がそのように考えておられるなら、前述した市長ご自身が「大津方式」とか「大津モデル」などとして世間に向かって胸を張られる、巨額の税金を投じて組織されている市長部局の二つの組織は一体何なのか。
いや、いかにも「現代っ子」らしい発想といえば言い過ぎだろうか。私にはこのように浅薄な認識に支えられている市長ご自身が(たとえそのような環境で成長されたにせよ)、組織の長としては完全にアウトであると申し上げたい。

今日のいじめ問題の根源をどのように捉えられているかを端的に告白されているからである。尻尾がはっきりと見えているのである。

2012年7月の涙の記者会見で「手のひら返し」を表明された越直美市長は、その後も事態の重要な局面で幾度となく「手のひら返し」を演じてこられた。もうこれは「演じた」などという代物ではなく、越直美市長の奥深くに潜む、ひょっとしたらご自身でも気づかれていない無意識的な本性ではあるまいか。

これを当時のマスコミや教育関係者、学識経験者はこぞって絶賛したことは記憶に新しい所である。注意深い、教育の最前線で格闘し、それだけに子供たちに慈愛の目を注ぎ続ける実践家には許せることではなかったはずだが、過去およそ10年ごとに立ち現れるマスコミの「バッシング祭り」にはそう簡単に抗えるものではない。

今、冷静に事の本質に立ち返って「いじめ問題」に向き合うならば、これら「大津方式」なるものの「似て非なる」役割を反省して直ちに発展的に解消すべしというのが私の主張である。

11 件のコメント:

  1. 家庭でも、学校でも、これら5つの禁じ手、弱い者を救うために力を用いること、卑怯者にならないことを一貫して繰り返し教え込むべきことは、団塊の世代以上にとっては当然のことであって、これらが欠落しているとすれば、むしろ驚きです。
    戦前の子どもたちはみな学校で教育勅語を暗記させられたそうで、戦後70年たっても暗唱することができるお年寄りも少なくないでしょう。
    勿論、教育勅語そのものは時代に合いませんが、これら゛魂のエッセンス”をシンプルで子供にも覚えやすいスローガンとして教え込み、様々な場面に当てはめて教え諭すということを一貫して続ければ、少しずつでも事態は改善されるのではないでしょうか?

    ところで、越市長が「家庭の“か”の字も言ってはいけない」と言われたのはどう言う意味でしょう?
    もしかしたら、「いじめられる側にも問題がある、家庭環境に問題があるからいじめられる」という論議に対して、いじめる側が100%悪いので、「家庭の“か”の字も言ってはいけない」と言われたのなら、頷けないでもないのですが……。

    返信削除
  2. 家庭のかの字も言ってはいけない、この意味を知りたい。

    返信削除
  3. 的確なご意見、ご質問ありがとうございます。威儀をただして私の知りうること、考えるところをしっかりとお答えしたいと考えています。時節柄、公選法や守秘義務、あるいは名誉棄損といった事柄に触れるようなことは厳に慎まなければなりませんし、一方、民主国家の在り様としての言論、出版の自由もまた同様にしっかりと保証されなければなりません。いじめ事件に関わって、一般に「家庭の問題」は私が見聞する限りにおいては、我が国では論評が避けられてきたことは否めない事実であったと思います。これは我が国の法体系が「家庭の責任や役割」について十分に規定していないことにその根拠があると考えます。大マスコミにおいてはそうでありますが一方、SNSの世界ではほとんど何でもありの状況であるのもまた事実であります。
    私は普段から信頼する弁護士とも十分に協議のうえ、事実関係をもう一度おさらいをして明日中に見解をまとめ、公表したいと考えていますので、いましばし時間の尤度をいただきたいと思います。
    ご参考に私が教育長に就任して、平成25年度の学校の目標として掲げた子供たちへの呼びかけの言葉を以下に掲載します。
    6つの約束
    1.早寝、早起き、朝ごはん、2.時間、挨拶、身だしなみ、3.家族、お年寄り、仲間、郷土を愛し大切にしよう 4.何か一つはみんなのために役に立つことをしよう 5.何か一つは誰にも負けない誇れるものをもとう 6.いじめは卑怯な小心者のすること、しない、させない、許さない

    これを全市の幼稚園、小学校、中学校に自分たちの言葉に置き換えてもよいから掲出してもらいました。いまも残っているところがたくさんあります。

    返信削除
  4. <私が教育長に就任した直後に、ある教育委員さんからいじめ問題に対する越直美市長の認識についての象徴的な発言を知らされた。それはいじめ問題の全体についてであるが、市長はその教育委員の発言を制して「家庭の“か”の字も言ってはいけない」と述べられたそうである。>

    この記事における越批判のキーポイントをこの程度の記載で済ませるなんて、富田氏は常識を欠いています。瀬田工業高校校長時代もこの程度のエビデンスで生徒の非行などに対応していたのでしょうか。どんないじめについても家庭の要因を語るべきではないと越市長が考えているという論旨ですから、そのエビデンスを列挙してください。エビデンスを示さない批判が許容されるのなら、いくらでも好き勝手が言えます。エビデンスを示せないのなら、今回の不当な批判展開を越市長に謝罪すべきです。

    返信削除
  5. 富田氏は何をどう進めようとして越市長とどのようにぶつかり合ったのですか?
    どの記事を読んでも富田VS越のバトルについては、中味が空っぽです。
    大津市の教育行政をどのようにしたかったのですか?
    6つの約束なんて似たような掲示がどこにでもあります。ラーメンチェーンの厨房にも貼ってます。

    返信削除
  6. 何を言ってるんですか。書いてしまってから事実関係のおさらい?事実関係を正確に把握しないまま書いてるんですか?

    返信削除
  7. 【その1】家庭の“か”の字も口にしてはならないについて、長いコメントを書きます。

    あのいじめ事件においては、自死と遺族側家庭環境の関連性は、市の過失度合いを決定づけるポイントでした。当初は、越市長を筆頭に市役所全体が勝てる裁判だと踏んでいたはずです。自死の要因は家庭環境にあるとみていたはずです。だから和解への方向転換が提訴から数か月後になったのだと、私は推測しています。

    あのようなケースでは、とにかくなんであれ生徒の惨事なのですから、学校内の要因を浮き上がらせるための調査がしっかり行われなくてはなりません。たとえ家庭環境に問題があったとしても、それは別問題なのです。学校、市教委、市長がなすべきは何か。それが最優先です。あの事件でそこがおろそかにされたのは、生徒の惨事と真摯に向き合う意識が薄弱だったからです。
    しかし、越市長も市教委もそういう自分たちの弱点を客観視できないでいた。だから、被告側に立たされたことへの危機感が不足していた。ゆえに、楽勝ムードでいた―――私はこのように見ています。

    さて、その楽勝ムードが一変し、2012年7月、越市長は和解への方向転換を世間に表明しました。和解は市の過失を全面的に認めてこそ成り立ちます。勝てない、なぜなら、自死と家庭環境の関連性はなかったからということになるわけですよね。

    富田氏は、この方向転換を越市長の掌返しだと批判的に述べています。
    掌返しとは裏切られたの感情と共に用いられる表現です。では、越市長が誰を裏切ったというのか。このブログ全体を貫く富田氏の論調に即して考えれば、市教委と学校だということになるでしょう。そして、裏切りの中味は、市長が、世間に向かって、自死と家庭環境の関連性を否定したことになるはずです。

    返信削除
  8. 【その2】それまで和解方針を固めなかったのはどうしてかという理由を携えて市長は記者会見に臨みました。実を申しますと、学校や市教委のずさんな調査結果がみんなをだましてきたからですと、まあ、市長は決してこのような言い方はしませんでしたが、端的に言えばこのような趣旨の理由説明をしました。

    「市長だって裁判に勝てるの一員だったではないか、自分だけいい子になって抜け駆けするつもりか、しかも我々を悪者にして」というのが、市教委の本音だったのではないでしょうか。
    その傍証材料が、当時教育長だった澤村氏の記者会見です。とても慎重な言い回しのなかに、なおも自死と家庭環境の関連性にこだわろうとする市教委の方針が窺われます。
    なお、家庭環境要因は、その後の第三者調査委と法廷によって否定されました。家庭環境要因はなかった、市教委と学校のでっち上げだと認定されました。

    ただ、越市長はあれでよかったのかという疑問符はいまも消えません。越候補支援に回った嘉田前知事でさえも、市教委と学校だけを悪者にするやり方だったと述べています。
    和解を目指すべき状況なのに裁判に勝てると踏んでいたのですから。市長がその状況判断の誤りに責任を負うのが筋というもの、世の道理から導き出されるあるべき姿というものです。前副市長茂呂治氏も、越市長は市教委や学校と連携して社会からの厳しい追及に応えようとせず、学校と市教委が一方的にわるいと対外的に打ち出していったと、厳しい見方をしています。

    返信削除
  9. 【その3】「家庭の“か”の字も口にしてはならない」については、ここまで述べてきたような背景事情を抜きにすることができません。富田氏が掌返しと批判する和解表明以降、市長と市教委の確執は決定的なものとなったことでしょう。

    私は内情を少しは耳にしていますが、中立的な状況判断に立つ人は、越市長は市教委に大人の発言を求めたのだろうと言います。すなわち、市が家庭環境要因に依拠した争いを放棄した状況、そして、学校や市教委の当事者能力不足がこれだけ世間の怒りを買っている状況。そこをよく認識して、いじめ問題にまず教育現場の自責から入ろうとする意識変革を強くアピールせよとの趣旨ではなかったのかと、その人は言っていました。

    いっぽう、市教委は、これまでのことを腹に据えかねていますから、なかなかそのようには受け取れなかったのでしょう。家庭のかの字も言わせないのか、それでいじめ対策がうまくいくのかという正論に走る以外に自らのプライドを保つ道がなかったのだろうと、私は推測しています。市教委と学校だけを悪者に仕立て上げたのは誰だ、我々を家庭のかの字も言えない状況に追い込んだのは誰だ、家庭の”かの”字も言わせないようにしておいてまたどうせ市教委と学校のせいにするつもりだろう、といった不信感の循環です。

    富田氏の教育長就任後、越市長の市教委に対する越権的言動が顕在化しました。富田氏の時代にも市教委から市長に向けられた憎悪がさらに増幅したことは想像に難くありません。富田氏は越市長の人となりを異常だと描写しているくらいです。

    「家庭の“か”の字も口にしてはならない」を富田氏に伝えた教育委員の心理、教育長として越市長と直に接した富田氏の心理。この両者の心理が激しい化学反応を生じ、越市長のいじめ対策には家庭環境の“か”の字もないという解釈に結晶化し、ひいては、富田氏がこのブログで大津方式の解体を訴求するに至ったのではないかと、私は考えています。

    返信削除
  10. 【その4】今回の記事における富田氏の越市長批判は、この心理に流されすぎています。越市長がいじめと家庭環境の関連性を100%否定していじめ対策を進めている確証はどこにもありません。確証を示してもらっていませんから、富田氏の主張通りに見ていいのかどうか、私たちにはわかりません。

    しかし、前教育長から現市長への批判なのです。びわこ放送で放映されても大丈夫なくらいのクオリティーが求められます。
    いじめ対策をめぐって市長-市教委の間にどのような食い違いがあり、大津方式中止を必要と考える富田氏がどのように越市長と対立してきたのか。そうした事実がもっとも雄弁です。富田氏は腹をくくってそこを私たちに見せるべきです。

    私は越市政にきわめて批判的です。しかし、いまは市教委や富田氏の援護射撃に出るつもりはまったくありません。市長と市教委のこうした関係性のなかで小学校低学年からの英語教育開始が決まりました。こんな市長と市教委にまともな教育行政ができるのかをみなさんに考えてもらいたいから、この長いコメントを書きました。

    終わりにはっきり言わせてもらいます。市長も市教委も新しい人物にしなくては解決しない問題です。いま両者の関係が平穏化したように見えるのは、市長になびいてくれる教育委員会メンバーだからです。

    返信削除
  11. 越直美市長と教育委員長(当時)のやり取りの経緯


    この件に関してまず事実関係を、時系列に従って整理すると次のようになります。
    1. 教育委員長(当時、以下委員長と略記)が平成25年1月10日の教育委員会定例会で「私はいじめ対策に取り組む。重要なのは倫理観の構築である。このことについては家庭が主役である。人権教育、道徳教育、は学校で行う。倫理観の構築も道徳教育も絶え間なく続けなければならない」と発言した。
    2. 定例会後の囲み取材で、読売新聞から「いじめというのは学校の問題ではなく、家庭の問題である、ということではないか?」と質問され、「そういうことではない、全然ないです。倫理感の構築は、保護者として私が一番しなければならないこと」と応えた。さらに、「学校に責任があるのは勿論ですが、家庭教育もいじめ対策として重要だと思う」と発言した。
    3. これに対して、越直美市長は翌日(1月11日)の市長定例記者会見において、記者から質問されていないにも関わらず、委員長の発言について批判した。
    「家庭教育に問題をすり替えている、教育委員会として対策ができていない段階で、家庭教育の重要性を言うのは責任転嫁」という点と、「家庭教育が重要というのは政治的発言である。個人的見解を述べるのは、政治的中立性を求められる教育委員として問題」という批判をした。
    4. これをうけて、委員長は市長に会談を申し入れ、1月17日に越市長、笠松副市長(当時)、2名の教育委員(当時)の合計5名で約50分間会談した。この会談の中で、越市長が(委員長が先の囲み取材で)「“学校よりも家庭の責任か”と問われ、“そうです”と答えたそうですね」と(委員長に)問いかけたので、委員長はボイスレコーダーを起こしたものを示して、「このように全く違います、この記録のように私はそれを明確に否定しています。“保護者としてできることは家庭教育であり、これも重要です”という趣旨です」と答えた。委員長は越市長が委員長の発言のごく一部「保護者として私が一番しなければならないことは家庭教育」を前後の脈絡を省いて聞かれたのかと考えた。
    5. 定例会見で越市長が委員長の真意を確かめることをせずに批判したことについて、委員長は謝罪を求めたが謝罪はなかった。委員長は、市長がむしろ“委員長の発言が市長の誤解を招いた”との認識を持っているように感じ取った。
    6. 委員長は、市長が“政治的発言”と批判したことについて、市長にその意味を問うたところ、「委員長が“家庭教育が重要”と発言したことです」と明言した。
    7. 委員長が「家庭教育について発言するのは政治的発言になるのか」と重ねて問うたところ、市長は「完全に政治的です」と答えた。何度かのやりとりがくり返されたが、教育委員全員が「家庭教育が重要」という発言が政治的発言であるとは全く考えておらず、教育委員の間では“市長と教育委員の間には日本語の語意、語感にずれがある”との共通認識をもった。これら一連の会話を再録することは可能であるが、
    以下、質問者の論点とは離れるのと、個人の名誉にかかわると推量される会話なのであえて伏せて省略する。
    本件は、委員長の家庭教育に関する発言の一部だけを取り上げて越市長が記者会見の場で発言したもので、事実誤認に加えて「政治的発言」という不適切なレッテル貼りであったと言わざるをえない。これを問題視した教育委員との協議においても自らの過ちを認めようとしなかったわけである。
    なお、本件を含む越直美市長の委員長に対する名誉棄損(法的に厳密な意味ではないが)と非礼の極みの事件は、それ自体社会常識的、人間的に大きな問題であるが、そればかりでなく、正確な事実等に基くことなく教育委員会への一方的な評価を社会に公言したという点において重大な事件であった。当時、教育員会はいじめ事件に関する真摯な反省のもと、事実の検証や再発防止策の検討に必死に取り組んでいた時であるだけに、本来、連携協力して対応していくべきパートナーとしての市長から、このような言動をされたことについて、深刻に受け止め、憂慮していたところである。そこで、
    既 に コンプライス違反の疑いの濃い他の2件とともに正式に要望書として謝罪と名誉回復を求める文書を私富田から2013年6月1日15日15時からの市長協議の場で市長に提出し、かつ委員長からも経緯のまとめの文書を市長に渡して協議を繰り返したが、3年を経過した今も、なんの音沙汰もない。
    このことは、越市長がいじめ事件で全国の注目を浴びる中、手のひら返しをして世の非難から身をかわしたことや、教育委員会と真摯に向き合って大津の子どもの教育のために協力していこうという姿勢に欠けていることと一連のものである。私を含む当時の教育委員は、いまだに越市長の答えを待っているところである。
    ここで、二人の質問者のコメントに私なりにお答えします。
    まず私が越直美市長の発言として「家庭の“か”の字」もいってはいけないと発言したかの如き記述したのは、確かに私が直接聞いたわけではなく、また直接聞いたとの伝聞情報を得たものではなかったので、これをお詫びして取り消します。これに変えて事実に即して以下の通り訂正します。
    訂正後の文面
    上記“やり取りの経緯”の中の第3項、4項、5項、6項、7項の事実から、当時の教育委員の間では「市長の前では“家庭の か の字”も言ってはいけない」という共通認識が定着しており、家庭のことが話題になるたびに、実際の会話として「市長の前での発言は“家庭の か の字”も言ってはいけない”」とお互いに注意し合っていた。
    この共通認識の定着は、越直美市長が2012年7月にこの事件についての認識を大きく変更したこと、その後の第三者調査委員会の立ち上げやその報告書の内容に家庭のことは一切触れられていなかったことに対する確信、そしてそのことを厳しく守るよう教育委員会に求め続けたこと、その結果として前述の委員長とのやり取りに見られるような、委員長自身が証拠をもって明確に否定されていることも受け入れずに、自説を強弁し続けたことなどから醸成されたものである。とにかく市長の前では“家庭の か の字”も言ってはいけないということは、当時の教育委員会のメンバー5人全員が胸に刻んでいたことであった。
    次に越直美市長がどのような意図をもって、上記第3項から7項にわたる発言を繰り返されていたのか。非政治的なものを政治的と称すること自体が政治的な立場であり、あの時の大津市トップの振る舞いとして適切であったのかどうか私には大いに疑問です。しかし、まさにこれは越直美市長に直接お答いただくのが妥当だと思います。そのことを踏まえたうえで、私なりの推測を述べるのはたやすいことですが、市長選挙前の微妙な時期ですので今は控えたいと思います。
    越直美市長は第三者調査委員会の報告書の内容を唯一の根拠として、一方向に重点を置きすぎた認識により、このような発言を繰り返しきた。それはその後、そのような認識に基づいて「大津方式」や「大津モデル」に発展し、市長部局に「家庭のことは問わない、ただ児童・生徒の心に寄り添い相談を受けて励ます組織」を立ち上げられたのだと思います。
    勿論そのことの意義を否定するものではありませんが、「誰にも言わないで」という子どもの判断を尊重しながらも、時にそれを越えて踏み込むことが大人の見識であり、いじめ問題の克服には欠かせない事であると考えます。この活動をもって、大津市のいじめ対策の推進力というのは全く不十分であり、それどころか学校現場の戸惑いを生んでいる現状は早急に解消されなければなりません。
    学校現場でのいじめ事案が重篤化するか、早く克服できるかの分岐点は何をおいてもいじめている側の児童・生徒やその保護者と手を携えて導いていけるかにかかっています。そのことに関わらない「いじめ対策」などはありえないと考えています。
    さらに突っ込んで、家庭の問題とは加害側の家庭のことか、被害側の家庭のことかとの質問もありました。これも越直美市長に直接お答えいただくしかありません。
    私自身は、いじめの克服に向けては家庭の意義を大変重視しており、私の今日時点での答えは既に投稿済みの、村田昇先生の教育思想であり、藤原家の父の教えの通りであります。このことは学校現場をあずかる教職員全員が共有していることであると確信しています。

    返信削除