2016年1月24日日曜日

家庭が一丁目一番地

たくさんのコメントを頂戴いたしまして恐縮です。
以前どこかで書いたようにも思いますが、毎日夕食の後は眠ってしまい23時前後に目覚めると、そのあとは午前4時ごろまでは深夜の一人ボッチの至福の時を過ごします。

外で友人たちと飲む日を除いてはほぼこのような暮らしです。もう20年以上もこのようなサイクルです。私からこの至福の時を奪うと何も残りません。至福の時間は音楽や映像や本、パソコンのキーボードをたたく音で満たされます。

このような生活リズムゆえに、配偶者と同室で起居することは当然ながらお察しの通り許されず、それがまた大変心地よい暮らしであります。

今この瞬間もまさにそのような時間です。大雪が降るかもしれないとの天気予報ですが今のところ幸いそのような気配ありません。子供たちが巣立って15年以上もたつと、彼らが暮らしていた部屋がそのまま空疎に残っているのを見るにつけ歳月の移ろいのはやさを感じずにはいられません。

一人は米国、一人は国内に暮らしていますがともにめったに会うこともなく、友人たちの多くが毎日あるいは毎週お孫さんたちを連れて生家を訪ねてくる子供に出会ってほほえましい時間を持っているのを見聞きするにつけて、少し変わっているわが身かなとも思います。米国組は2年位に一度、国内も年に数度ですから。

かくいう私自身は老母の隣家で暮らし、毎日介護に余念のない暮らしですから、ちょうど私たちの世代をボーダーとして日本人の暮らしぶりが大きく変わったということでしょう。平たく言えば日本国始まって以来たった一度の最初で最後の敗戦体験が激変を促したということになります。


しかし欧米の人々には子供たちが世界各地に散らばって暮らしていることはごくごく普通のことで、クリスマスシーズンに一族が生家に集うというのが一般的なようです。

精神心理学は親子関係を研究テーマとすることが多いようで、「毒親」「アダルトチルドレン」「母子相姦」「父性原理・母性原理」「父性の復権」「過保護・過干渉」・・・・・など、まさに家庭こそが子供の育ちを語るうえでの一丁目一番地であることは明らかです。

「家庭の”か”の字も言ってはいけない」と当時の教育委員に思わしめた越市長。
その心情・信条・身上・真情はいかばかりのものか、想像はいろいろできるものの本当のところは私にとっては深い闇の中にあります。

京都新聞の朝刊が届きましたのでざっと目を通してしばしの眠りです。6時半には起きだして近くの老年悪どもが集う解放区へ向かいます。

京都新聞の一面の「天眼」欄に今朝は大好きな梅原猛さんが寄稿されているので、それを読んでから寝ます。テーマは「日韓親善のために」です。

ではまた



1 件のコメント:

  1. ここのバームクーヘン、美味しいんですよね(^0^*
    自転公転で焼けていく実演販売は、見ていて飽きません。

    周囲が寝静まっている時に一人起きていると、妙にときめくのはなぜでしょうね?

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