2015年12月30日水曜日

これでいいのか大津のいじめ対策(その3)

 いよいよこの項も終りに近づきました。
 繰り返しになりますが私の基本認識は―――


「いじめは、残念ながら人間社会に1000年王国が到来しようとも無くならない、社会は多かれ少なかれ閉鎖空間であるから、様々な事柄から完全には逃れられない、しかし少なくとも学校や地域社会において、生育期・発達期の子供たちの特性や個性をよく把握、理解して、心を配る大人たちがたくさん存在して、子供たちと日常的に生き生きと触れ合っていたならば、重篤化しそうな異変にいち早く気づいて、いじめている側といじめられている側の子供双方に、大人として向き合い、厳しく優しく導くことで、克服・回復の道をたどることができる」
という確信です。

 ちょっと話が逸れてしまいますが、国民全体が豊かに何不足なく暮らせる社会が到来したとします。それでもいじめはなくならないといわれています。最後に残る人類のもめごと、それは男女問題だと喝破した人がいました。考えてみれば納得してしまいます。

 さらに、当然のことですが、「親も、教員も、近所のおじさん・おばさんも、資格を持ったカウンセラーも、公的権力機構も不完全で、未熟で時には大きな誤りも犯す存在である」という認識に忠実であらねばなりません。
 ましてや、誰もが経験する発達期のあの疾風怒濤のこころや体の動きは、制御が難しく、ひとり、親だけ、教員だけ、近所のおじさん・おばさんだけ、あるいはカウンセラーだけ、あるいは公的権力機構だけに任せて済む問題ではありません。

 重篤な事案が発生してしまうと、必ず誰が悪い彼が悪いとの責め合いが始まります。相手の不十分な対応やわずかな瑕疵を責め立て、その後に起こる(であろう)訴訟を有利に進めるための準備が始まります。人類のたかだかわずかな歴史のなかで形成されてきた、法律という小賢しい調理包丁で、疾風怒濤のこころと体のうねりを切り刻んで裁こうというわけです。
 不完全な人間が、不完全な刃こぼれだらけの包丁で裁くわけですから、裁かれるほうも大変です。

 一体何が言いたいのか。

 「それを職業としているとはいえ、残念ながら不十分な、未完成の大人たちが、お互いに足らざるところを補い合って子供たちの疾風怒濤と向き合い、協働して子供を育て教えていくという教育の原点に今こそ立ち返らないといけない」ということです。
特に学校で重篤な事案が発生すると、「保護者対担任の教員・学校・教育委員会の対立の構図」がしばしば現出します。ことが子供間のいじめに起因していると、この構図に加害者側と被害者側の対立の構図が重なってきます。

 「親と先生は協働・一如の関係でありたい」とは村田教育学(滋賀大学名誉教授:村田昇先生の教育論)の薫陶を受けられた川嶌順次郎先生の言葉です。いまこそ私たちはこの先哲の言葉から深いものを汲み取らなければならないと思います。

 よく仄聞することですが、「保護者が担任の交代を要求する」ということが起こります。これは一体どうしたことでしょうか。極端な場合とは言えないくらい多くあるようですが、「子供は親と先生が協働して育て教える」という観点に立てば頷けるものではありません。当該の子供が先生の交代を求めているのだろうか、本当に先生が交代したとして、その子供はさっぱりした、として学校に出てこられるのだろうか。疑問は尽きません。
この問題、結局は、親が自分の子供をどのような人間に育てあげたいと願っているのかという問いに行きつきます。
 逆に「先生が親の交代を要求」したらどうなるのでしょうか。さすがにこれは聞いたことがありません。しかし先生の中には「親の交代」を求めたい気持ちになる人もきっといるに違いありません。
 「これでいいのか大津のいじめ対策(その1)後半」で、なぜ学校の先生は権威をもって尊敬されなくなったのかに言及しました。学校外の人たちからすれば学校はもっとも安易に文句を言っていきやすい所になったのです。学校がその文句にきちんと対峙せず、ともすれば迎合的になる傾向にあることも事実でしょう。

 先の川嶌先生の言葉をかみしめるならば、学校におけるいじめの重篤化を防ぐ最初の一手は「協働・一如」の精神で加害生徒・児童とその親(保護者)と向き合うことです。この一手を間違うとその後が複雑化・長期化の道に陥ります。言い換えればこの点を外した「いじめ対策」などありえないということです。
 私がもし「大津方式」を掲げるとするならば、「何をおいても加害生徒・児童・保護者と向き合い、担任教師任せにせず、学校のマネジメントとして保護者と協働して児童生徒を教え育てる立場を貫く」ということになります。さらには被害児童生徒とその保護者にも同様の心構えが必要となります。加害生徒・児童を対象から外した越市長の大津方式は、申し訳ないがその最初の一手からして全く間違っています。

 私が私淑するある経験豊かで思慮深い校長先生は、「最初の一手」が絶対的に肝心であると常々語っておられます。私は理系人間で、工業製品を設計・製造・品質管理する仕事に30数年間携わってきました。品質管理の国際規格ではこのことを「源流管理」と呼んで特別に大切なこととして扱っています。人間教育も工業製品の良質な品質管理もともに「最初が肝心」というわけです。

 このことを県下の高等学校で見事に実践して素晴らしい実績を挙げている学校があります。あえて校名は伏せますが、目を見張るべき校風が確立されてきました。「学校は一日でその権威を失墜することができるが、それを回復するには10年かかる」ことを多くの教育関係者は知っています。

 学校・教育委員会を責め続けてきた越直美市長はこれらのことをどのようにお考えでしょうか。ぜひともご意見を賜りたいと思っております。

 (写真は滋賀県のまち風景。多賀大社の裏に住むノラ猫の子どもです)






6 件のコメント:

  1. 先日の小4飛び降りは、どこの守備範囲になるのでしょうか?
    たまたま死ななかったというだけで、死んでいたかもしれない出来事です。

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    1. 記事から判断すると、いじめがあったとの情報がなければ、教育委員会では?
      いじめ対策室はいじめだけしか対応しないとのことですから。
      でも、いじめって、その他の事情が複雑に絡み合うから起こるのてあって、属人性のあるものなのに、一現象であるいじめのみの対応が可能なのか疑問です。非行、貧困、虐待、障害、などの多種多様な問題はどうするのでしょうか?

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  2. あの転落事案はいじめではない可能性も大きいようで、校内で調査中のようです。
    現時点でどうこう言わない方が良さそう。

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    1. 転落なら落ちようとしないのに落ちたのだから事故です。そこまで事実をボヤかすことはないと思います。

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  3. 越さんは英語教育問題あり、保育所のたて過ぎ問題ありでいじめ対策まで問題が明らかになったらもうアウトです。学校にも加害児童にも保護者にもアプローチしないいじめ対策は悩みの相談室でしかありえません。それに大金かけて自分のPRだけしていることに大津市民は怒るべきです。市政私物化市長です。

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  4. 大津市のHPに、大津市総合教育会議の議事録が公開されています。
    そのうち第3回には大津いじめ自死事件遺族も出席されていますが、被害者としての恨みつらみが一切なく(恐らく抑えて)、最愛のお子さんの死を無駄にしないため、再発防止に関する示唆に富んだ提案をされています。
    ついでながら、第13回は例の飛び降りのあった日の午後3時に、「重大事態への対処について」という議題で急遽非公開で招集されています。第14回も同様で、どちらも議事録が公開されていませんから内容はわかりませんが、タイミング的に恐らくこの件かなと……。
    出席者名簿を見れば、どこの守備範囲かがある程度わかるかもしれません。

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