2015年12月27日日曜日

これでいいのか大津のいじめ対策(その1.5回め?)

 急な用件で、いま、長浜におります。前回の続編をすぐ掲載できないことを、まずお詫び申し上げます。
 その場しのぎのつなぎというわけではないのですが、1回目と2回目の半分くらいで1.5回目。少し異なる観点から話を挟ませていただければ幸いです。
 何かといえば、越市長は、自らが推進する改革の成果をできるかぎり分かりやすく市民に説明すべきであろうということです。1期目の終盤、自らすすんで説明に立つ時機(時期ではなくて時機)ではないでしょうか。



【PDCA信奉者のつぶやき】 


 人生諸事すべからくPDCAサイクルを回し続けることで成り立っているというのが、私の信条です。
WikipediaでPDCAサイクルを調べなおしますと、「Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4 段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善する」と説明されています。

 大元は工業領域の生産管理・品質管理の手法です。とはいえ、目標達成に必要な行動を明確にしてくれる点で、PDCAは企業活動全般において好まれる手法です。たとえば営業マンも日々の営業活動にPDCAサイクルを持ち込み、いついつまでにこれをやっておかなければあれがうまくいかないなどと考えたりしています。


 私のPDCA信奉はさらに幅広いものです。家庭、恋愛、スポーツ、受験、読書、音楽、旅行など、みなそれぞれに独自のPDCAサイクルを持っているのではないかと思えてなりません。私たちは、無意識のうちにも、PDCA的な状況判断を繰り返している気がします。

 自分たちの毎日をふりかえってみますと、進歩や発展を望む気持ちに駆られたときほどPDCA的な自己評価を重視しています。言い換えますと、自分に厳しくあらねば夢はかなわない。受験勉強はその最たる一例でしょう。
 私は現役を退いた身ですが、何かしでかしたいという生臭い野心がどうにも止まらない。その割にはことが思うままに進まない。そのせいか、日常生活にこのサイクルを持ち込んで自分を律しようとする気持ちが人一倍強いようです。


 このように、個人生活においてさえ、進歩・発展を望めば自分に厳しくならざるを得ないのですから、市の進歩・発展を目標に血税を投じて行われる市政にはなおさら厳しさが求められます。

 極めて慎重に企画する。波及する先々を検討し、影響を評価する。結果・効果の予測を立てる。評価基準を設定する。コンテンジェンシープラン(万が一失敗した場合の対処法)を準備する。
 これが、まさにPDCAの立案です。税金の無駄遣いを防ごうとすれば、丁寧をきわめる企画と積極果敢な断行が欠かせません。


【その改革 痛みの代償は何か?】


 改革推進は越直美市長の旗印にもなっています。そんな越市長を新自由主義者と定義づけるむきもあります。公共サービスの民営化指向が強いというだけで越市長を新自由主義的政治理念の持ち主に位置づけるのは乱暴に過ぎますし、また新自由主義とは何かの定義もまだまだ曖昧ですので、勝手で単純なレッテル貼りは禁物です。しかし、規制緩和、民営化を積極的に進めた政治家たちが国の内外を問わず新自由主義的だと理解されていますから、その程度の趣旨ならば、越市長の市政運営を新自由主義的だと呼ぶことはできるでしょう。


 私は団塊の世代に属します。日本経済がどんどんよくなっていく時代に育ち、経済力を背景に福祉もどんどん充実していく日本で育ちました。得した損したでいうなら、得した世代の最後尾あたりにいると思っています。

 ところが、越市長の世代は、右肩下がりの日本、少子高齢化社会の日本で育ちました。その世代の言い分は自分の娘や息子の言葉でもあります。彼らの住みよい日本にしたいと望む私自身、新自由主義的な政治理念をひとつの拠り所としています。越市長と話すうちに大津市教育長を受ける決心を固めたわけですが、それは、教育現場を新自由主義的発想で見直そうとする発想を感じ取ったからでした。

 とはいえ、もっとも大切なことは、改革推進が何主義で進められているのかではなくて、その改革が何を目指すものであるのか、そして、現にどのような成果をもたらしたか、です。越市長自身、「痛みを伴う改革も果敢に進めてきた」と4年間を総括しているくらいですから、何を得るための痛みだったのかが大いに問われるところです。同時に、痛みをこらえた値打ちが本当にあったのかどうかが問われます。

 改革の必要性を信念とする市長であればあるほど、改革を慎重かつ丁寧に進める手腕に長けていなくてはなりません。また、おりにふれて改革の意義と成果を市民に説明しなくては、市民から負託されたそのまちをどこに連れて行こうとしているのかが伝わりません。痛みに見合うものが何であったかを正々堂々と説明するのが、改革を先導した市長の責任というものです。

 ところが、残念なことに、越市長は、改革推進に必要なコミュニケーションを軽視しがちです。このことは、様々な人々や組織から繰り返し指摘されていることです。なかんずく自説と異なる意見や見解に対して全く聞く耳を持たない点が大きな欠点だというのですが、聞く耳を持たないから適切な受け答えができないことも、同じくらいに市長とのコミュニケーションを困難にしています。
 何かにつけて市民への説明が不足するのもこの延長線上ではないかというのが私の見方です。改革の意義や成果を市民に向かって説く必要性を避けているというよりも、その必要性を想定できる感覚を持ち合わせていないのではないかとさえ感じます。よくぞ改革してくれたと言われたい気持ちすらないようにも見えてしまうのです。結果的に、市民に対してまで問答無用で改革が進みます。
 これは新自由主義だからという話ではない。新自由主義とは、市長が自由で周りが不自由という政治思想ではありません。市政執行者のあるべき資質としていかがであろうかと思うのですが、市民の皆様にも十分にお考えいただきたいところです。


【いじめ対策 大津モデルの実効性は?


 最後に来てやっと本題のいじめ対策の話に戻しますと、いわゆる「大津モデル」に投じられている年間予算総額について、5千万円と聞くこともあれば1億5千万円と聞くこともあります。正確な数字を把握できていませんので、いま裏付けのある正確な情報を探索しているところです。

 ただ、金額にかかわらず、一定額の投資に対していかなる成果・効果が得られているのか、いわゆる費用対効果を市長自身に分析してみせてもらいたいと思っています。
 このようなことを書くと瞬時に聞こえてくる反論があります。それは「いじめ対策の効果の算定として何らかの定量的評価指標などは考えにくい、ましてや予算額と対比させた効果金額の算定などは到底できないし、評価方法としては極めて不適切である」という主張です。

 もちろん、私も、そう簡単なものではないと分かっています。しかし、市長は、職員たちからの予算申請には費用対効果を厳しく問い詰めます。その模範例にもなることです。

 「大津モデル」は市長自身の肝煎り政策でもありますし、あのような悲惨な事件が二度と起きてはならないわけですし、あれだけ世間の酷評を浴びた大津が全国から真似されるような再発防止策を発信できたと胸を張れれば市民の溜飲も下ります。費用対効果をできるもんなら説明してみろといういじわるな要求ではなくて、これだけの予算でもやり方が的確ならこれだけの成果が上がるのだという説明を聞きたいという希望です。もし、狙ったほどの成果が上がっていないのなら、またみんなで考え直さなくてはなりません。


 ここ大津ほどいじめ対策のPDCAが問われるまちはないと思います。

 (写真は滋賀県のまち風景。長浜の黒壁スクエアです)



1 件のコメント:

  1. 民間企業でPDCAをおろそかにすれば、すぐ倒産するでしょう。
    この市長のままさらに4年続けば、34万人以上の市政の行く末が案じられます。
    職員のストレスも限界では?

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