ちょうど2月市議会の始まった日で、その議会冒頭、越市長から、私を教育委員に推挙する旨の提案。有り難いことに議会の全会一致をいただいた。
その議会後に教育委員会が開かれ、そこにおいて、全教育委員一致で私が教育長に任命された。少し説明を加えると、教育長は教育委員間の互選で決まる。こうして、2013/02/19、私の教育長職務の第一日目が始まった。
この日は、市議会において、「大津いじめ対策防止条例」が議員提案・可決された日でもあった。いじめ防止対策条例が制定され、私が新教育長に決まり、「よし、いじめ対策をしっかりやっていこう」と関係者一同が一丸となって決意を固め合う記念日だったはずなのだが・・・。
ひとつの出来事でその記念日は様変わりした。
ただ、その当日、私はまだ就任直後であり、その出来事をどう解していいのかわからなかった。それでも、あり得ないことが目の前で起きている空気を感じていた。
現在の私は、短いなりにも教育長生活を送り、内情に少しは通じている。その目で振り返れば、多少大袈裟かとは思いつつも、あれは空前絶後ともいえる出来事であったとの感が強い。
もっとも、その出来事の当事者である越市長自身は、そこまでの認識ではなかったようだ。教育長体験を重ねるなか、越市長と周辺とではこのあたりの感覚にズレがあることを、幾度となく感じてきた。
その日の約3週間前、2013年1月31日、いじめ問題第三者調査委員会の調査報告書が越市長に提出された。翌日の新聞には大きく写真入りで手渡し風景が報じられた。
調査報告書完成は私の教育長就任前の出来事だ。詳しい事実を直に見聞きしたわけではないが、それでも、越市長から教育委員会に対して、「まずこの報告書をどのように受け止めたのか、そしてどのように対策を講じていくのか、教育委員会の見解をできるだけ早く取りまとめて報告されたし」との指示が下ったのだろうと類推することはできる。というのも、教育委員長(教育長ではない)が直ちに教育委員会を招集したという経緯があるからだ。
調査報告書はその教育委員会の場で検討協議された(検討書記載の日付は2月14日)。そして、2月19日、その検討結果を収めた「検討書」が教育委員長から市長へ手渡される運びとなった。お役所言葉だが、こういう行事を手交式という。
ただ、手交式以前にも若干の経緯があった。当初は、教育委員会事務局から2月15日に市長に提出する予定だった。しかし、提出方法について、「(教育委員会事務局ではなくて)教育委員長直々で市長に持ってくるように」との指示が出された。そのような推移があり、直々の手渡しとして手交式が開催された。
教育委員長は、「メディアの立会い・取材の下で検討書を市長に手渡す」との連絡を広報室から受け、手交式会場に向かった。私が実際に目にした光景にいろいろな人の話を加味してその日の様子を再現すると、以下のようになるだろう。
手交式に臨む前の教育委員長は、「検討書」を手渡すだけだと広報室から聞かされていた。それに応じて、手渡すべき「検討書」以外の持ち物は部屋に置いてきた。会場に入ると、2台の机と2席の椅子が準備されていた。記者会見のレイアウトだ。目線を上げると、メディアのカメラがこちらに向かって放列をなしていた。
短い言葉を添えて「検討書」を市長に手渡した。ストロボが一斉に光った。ひと通りの写真撮影が終わったときである。市長は、いま手渡されたばかりの「検討書」の内容について教育委員長に説明を求め始めた。
教育委員長は虚を突かれた。いまここで述べるべきは、報告書に対する真摯な受け止めとそれに基づく反省、そして今後の対応への固い決意だと心得ていた。
もちろん、この点については市長の了解も得ていた。その了解を踏まえた手交式である旨も、広報室から伝えられていた。ところが、市長は、掌を返したかのように、いじめ再発防止の具体策は何かと矢継ぎ早にたたみかけてきた。
教育委員会の「検討書」はまだ第一報にすぎなかった。もちろん、教育委員会は具体策を練る意志充分だった。ただ、このときは、報告書を受け取ってから2週間という状況であった。いじめ防止の具体策を実現可能な形でまとめ上げるには、膨大な量の報告書をさらに綿密に読み込んだ上での腰を据えた議論も必要だった。市長からいまこの場で求められている具体的な対策は、まさにこれからの課題であった。
あのとき私はちょうど同じ部屋の隅にいた。この手交式が終わってから教育委員就任の任命書を市長から受けとる予定だったからだ。
いきなり市長から具体策の中味を求められた教育委員長は、戸惑い、しどろもどろになりながらも、必死に応じていた。それはそうだろう。大津市教育委員会は日本全国からのお叱りを頂戴してきた。当時の教育長に対する襲撃事件も起きていた。社会の目と耳ともいえる報道陣が居並び、言葉をどれだけ選んでも選びすぎではない状況だった。
質問というよりも詰問だと傍観者の私でさえも仰天するほどの厳しい追及は20分以上にもわたった。異様な光景だった。その場にいた誰もが異様さを感じている様子だった。後刻、部屋に戻ってきた教育委員長は顔面蒼白だった。私のみならず他の教育委員もしっかりと記憶している。
もう一度言うが、いじめ防止対策条例が可決された日であった。二度とあのような事件を起こしてはならないの決意を、市長を筆頭に全員で固め合うべき日であった。いじめ防止に取り組む決意を社会に示すことが大津市の責任でもあった。報道陣が詰めかける手交式は市長と教育委員会の強い責任感と連帯感を市民に伝える機会であった。
しかしながら、それほどまでに大切な機会をなし崩しにした出来事。あの記憶が今も私の胸を去ることはない。
この一件では、市長周辺も、教育委員長に対する質問攻めの意図をいぶかしがった。不可解だった。議会、マスメディア、教育委員会から、市長に対して指摘や抗議がなされた。教育委員会は市長の謝罪を求めたが、しかし、私の知る限りにおいては、オフィシャルな場での謝罪や説明はこれまでになされていない。現在まで、越市長は沈黙を保ったままである。
私も、教育長在職中に市長に抗議した。市長から教育委員長への謝罪があの手交式同様にメディア同席で行われるべきことを主張した。
奇襲ともいえるあの質問攻めの意図は何だったのだろうか。報道機関を前にした見せしめ的な詰問がなぜ必要だったのか。「教育委員会は何も変わっていない、あいかわらず無能なままである」との世評拡散を狙ったのか。
もちろん、いまの私だからそのような推測を思いつくということである。越市長の人となりも市役所の内実もほとんど知らなかった就任当日は、一部始終をただ茫然としながら眺めていた。
(滋賀県のまち風景。草津市から望む冠雪の比良です)

それと同じように前澤村教育長も取材され一連の世論につながりました。
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