2015年12月11日金曜日

2012年7月のインパクト

 2012年7月に大津市役所、大津市教育委員会、当該中学校を巡って起こったことは私の「富田アーカイブズ」を発進させるための出発点である。勿論、もっとも大切で深刻に受け止めなければならないことは、前年の2011年10月に起こった取り返しのつかない重篤な事件であったことは言を待たない。

 2012年7月に越市長は突然大津市とご遺族の間で係争中であった裁判について公判事実を争うことをせず和解する旨の方針転換を表明された。後で聞くところによると市の幹部の誰に事前に諮られることもなかったという。市長に就任されてからの約半年間の様々な出来事や情報を総合しての大変重大な決断であったと思う。

 しかし、当時は一大津市民であった私が、テレビでこの会見報道を見ていて瞬間的に何かが大きく動いていくのを感じた。山がゆっくりと崩落してゆくような感覚といえばよいであろうか。何かが確実に動き始めたとの思いは暫く余韻を持って続いた。それまでの何とも重苦しい沈黙がゆっくりと氷解していく感覚とでもいえるものでもあった。

 一市民として、何が起こっていたのかが分からぬままに過ぎて来た半年間であったが、確かにその日から起こった激動の半年を予感させるに十分な不可解さが私にはあった。

 残念ながら児童・生徒をめぐる重大ないじめや、その結果おこってしまう取り返しのつかない悲劇はなかなか克服できず、大津での事件の前にも後にも人々の記憶にはいくつも残っている。問題はそれらの重篤な事件に対して当該自治体の首長、教育委員会、学校、地域、家庭そしてマスメディアがどのように向き合い、関わってきたかである。

 私の問題意識はこの一点にあり、このブログ「富田アーカイブズ」の開設もこの問題に正面から向き合いたいとの思いが大変強い。

 勿論,越市長と向き合って苦闘した13か月のドキュメントであるから、第三者調査委員会報告書に対する検討書問題、英語教育、図書館問題、公民館問題、幼保一元化問題、教育委員会の在り方問題、人事権の帰趨問題、いじめ対策の在り方問題、独立行政委員会に対する不当な介入問題などに言及するが、すべてはこの事件が原点であり、2012年7月の市長の方針転換にすべて通底することだと思うからこそ、このことの意味を広く深く関係者、市民の皆様方とともに考えていきたいと考えている。

(写真は滋賀県のまち風景。大津市葛川明王院の山道です)




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